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内山 麻理子(うちやま・まりこ)

マドレボニータ認定 産後セルフケアインストラクター

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1974年、新潟県小千谷市生まれ。夫・長男・次男の4人家族。

自分の生き方を問われた第1子、体力の低下と夫婦関係に悩んだ第2子の出産を通して、産後のボディケア&フィットネス教室に参加。生き方が180度変わった自身の経験から、産後にこそケアが必要と実感。2011年、マドレボニータ認定 産後セルフケアインストラクターになり、東京で産後のボディケア&フィットネス教室を多数開催。2013年より新潟県長岡市に転居し、産後ケアの拡大を決意して活動中。社会福祉主事任用資格保持。

 

社会の役に立つ仕事がしたいという思いと挫折

高校卒業後の進路を考えた時「社会の役に立つ仕事をしたい」という思いが芽生える。しかし具体的にはイメージできず、社会福祉科のある専門学校へ進学。実習で児童養護施や乳児院を訪れた時の思いが印象に残り、卒業後は児童養護施設に就職。しかし、施設にいる子どもたちの環境、背景、子どもを産み育てることの現実を知ると同時に、自分の甘さやできることの限界を知る。社会の役に立つということは甘くはない、中途半端な思いではできない、私にはその覚悟がないと痛感。退職を選択する。

 

人見知りなのに、サービス業

その後、小さい時から食べることや料理への興味もあって、福祉とは全く別の飲食の世界へ。人見知りで、友達づくりも下手だったのに、なぜか接客することを選ぶ。“お客さま”と接することに慣れてくるとどんどん楽しくなっていき、ファミリーレストランでのアルバイトやホテル内にある日本料理店で契約社員として働き、26歳の結婚を機に、退職。専業主婦となる。

 

 自由なのに不自由

結婚前は休みもあるかないかわからないような働き方をしていたので、結婚をきっかけに働き方を考え直すことに。そして、3カ月間の専業主婦生活で感じたのは、何をすればいいのかわからない、不安定な私。児童養護施設での思いもあり、まだまだ未熟な私が子どもを産み育てるなんて無理。いつかは子どもが欲しい。だけど妊娠出産への抵抗感はぬぐえない。何をしていいのかぼんやりと考え、毎日自宅で夫の帰りを待つ日々。

家しかいる場所がない。友人もみな仕事をしている。20代ど真ん中で平日の昼間に時間をもてあましている友人なんているはずはなく、私が自由に使えるお金もたかが知れている。自由に使える時間がたくさんあるのに、不自由。健康で働き盛りの大人が何もしない毎日に飽きるのに時間はかからない。働かない理由なんてない。すぐに、週3~4回日中だけのアルバイトを始める。

働き始めると、週3,4日では物足りなくなる。仕事に夢中になりたい欲がわいてくる。タイミング良く舞い込んだイタリア料理店のホールマネージャーのポジション。それから毎日、日付が変わるまで働く日々を送る。

 

私の人生が見えない・・・第1次産後ショック!DH000013

結婚したばかりの頃、夫には「子どもが産まれたら私のその後の人生は子どもにささげる。だから30歳までは私のやりたいようにさせて欲しい」と話していた。児童養護施設での挫折もあり、子育てに対しての不安も大きかった。

そして31歳の時に第1子を出産。産後2カ月のある日、子どもの寝顔を見ながら

「この子を育てるために今後の人生を全てをささげるつもりでいたけど、子どもが自分の道に進み始
めたら、その時私はお役目が終わりなのかな?」

その後の自分の姿を想像することができず、頭が真っ白になった。子どもが大きくなった時、自分の手元にあるものが、何も見えない。考えても考えてもわからない。探してもどこにもない。子どもには未来がある。けど、私の未来が真っ白。なぜ私は生きている?

そして、そもそも私の人生は子どもを産み育てることではなかったはず・・・。子育ては簡単ではない。だけど「私の人生は子どもを産むためだけの人生ではなく、私のためにあったはず」という答えにたどり着く。「私の人生を子どもにささげる」ではなく

「私の人生は私が歩く、子どもは子どもの人生を歩く。それぞれの人生を尊重して、お互いが関わる時間を大切にしよう。」

 

さらに追い打ちをかけられる~第2次産後ショック

育児休暇が明け、日中のみ働くため正社員ではなくアルバイトとして復帰。そこで、産後の衝撃を再び受ける。

産後のカラダの変化、体力の低下が想像以上!
仕事するスキルも驚くほど低下している!むしろ後退しているんじゃないか?と。

そう思っても、口には出せない。早く元の感覚に戻さなくては。だけど昼間だけの勤務、なおかつその半分は事務職では、周りとの差を埋めることはできない。ようやく、私は妊娠前と同じように働ける環境ではないことを知り、新しい働き方を探すステージにあると気づいた。

本当にやりたいことを探し始めて

次の仕事を探す日々が始まる。いつかは夫の転勤がある。引っ越すこともふまえ、どこに行っても私がいればできる仕事がしたいと思うようになる。そんななか、第2子妊娠。これをきっかけに、次の仕事を決めるタイムリミットは第2子出産後までと決める。1人目の出産で、妊娠出産は女性にとって働き方や生き方を変えるチャンスとも感じていた。育休中に次へのステージの準備をしなければ!

しかし、そうそう簡単に本当にやりたいことなど見つからない。次第に焦るようになり“私の人生“が見えてこない不安を抱えながら、2度目の産後を迎える。

 

夫婦のピンチ!~第3次産後ショック

第2子出産後、「夫婦関係の長い氷河期」に入る。今でいう産後クライシス。一人目の時は里帰り出産だったが、二人目は臨月まで仕事をしていたことや長男の保育園があり、里帰りせず夫婦で乗り切ることにした。

それなのに、赤ちゃんが産まれて1週間、2週間と過ぎていくうちに、家事、長男の保育園への送迎を請け負っていた夫に疲れが見え始める。口数が減り、赤ちゃんが生まれて幸せなはずなのに、冷めていくなんて想像していなかった。

加えて長男の左足骨折。私も休んでいられない心境になり、動き始める。気がつくと夫婦の間はこれまでにないくらい殺伐とし、ちょっとやそっとじゃ修復できないような状態。「これからどうやって子どもたちを育てたらいいんだろう」さらに、妊娠中に決めていた「産後1年以内に新しい仕事を探す」こともできず、不安が募る一方。

 

身体の回復が目的だと思っていたけれど・・・

「そもそも、産後のしんどい身体のままだからダメなんだ。もっと元気になって、なんでもできるくらい回復しよう。夫が担っていることを私が気持ちよくできるようになりたい!」そんな思いから、やっとたどり着いたマドレボニータの「産後のボディケア&フィットネス教室」。

参加して驚いたのは、はじめは身体の回復が目的だったはずが、終わってみるころには身体だけでなく、いつの間にか自分の生き方や、仕事、夫婦関係に視点が切り替わっていた。そして、それまで漠然と持っていた私自身の将来や仕事への不安、夫との関係について課題が明確になり「私はどうしたいか?」を考えるようになり、無駄に焦るということがなくなっていた。

「出産すると、少なからずみんな同じようなつらさや不安がある。こういう場所は出産したらみんな必要なんじゃないか」と思い、産後ケアという仕事に興味を持ち始める。

 

私がいればどこでもいつでもできる仕事

2010年4月、産後セルフケアインストラクターになることを決意。ようやく探していた「やりたいこと」が見つかる。この時既に35歳。体を動かすことは好きでも、日常的に運動をしていることから離れて8年。産後6か月。

当時の養成コースは年齢制限(エントリー時35歳)があり、金銭的にも無駄にかけることもできないと判断し、チャンスは1回だけと決める。この時はもう「産後セルフケアインストラクターになりたい」ではなく「産後セルフケアインストラクターになる」と思い込んでいたし、この仕事をしながら生きること考える。

恥ずかしながら、ここで初めて、私の人生と夫や子どもたちの人生を尊重すること、私の生き方に仕事を重ねることを、本当の意味で意識できるようになった。将来が見えず頭が真っ白になって4年になろうとしていた。

 

産後ケア未開の地での苦戦

2011年、マドレボニータ認定産後セルフケアインストラクターとして東京都中野区で産後のボディケア&フィットネス教室をスタート。その後、西東京市、清瀬市と教室を増やす。教室開催だけでなく、当時まだあまり知られていない産後ケアを広めるため、卒業生やマドレボニータの会員さんや仲間たちとマタニティ・産後・子育てイベントにも出展。行政や助産院での講座など、活動範囲を広げる。

そして、地元の新潟に産後ケアを広めていくという願いがかない、2013年4月、夫の転勤に伴い新潟県長岡市に引っ越し、産後のボディケア&フィットネス長岡教室をスタート。

新しい場所での教室は、想像以上に申し込みがなく、かなり苦戦!産後ケアを広める長い道のりが始まる。

 

産後ケアの必要性を知ってもらうために

最近では、メディアでも産後ケアが取り上げられるようになり、政府や行政も取り組みに力を入れ始めている。新たな産後ケアサービスも見られるようになってきた。でも、まだまだ足りない。しかも、産後の女性の人生や地域に根差したものは少ない。

そもそも産後ケアは、出産を経て母となった女性が、その後の人生を私自身が歩いていくための第一歩。産後だけを切り取ってみるのではなく、妊娠中や子育て社会とのかかわりから切り離すことはできず、そこには生活や仕事があり、家族や地域がある。

社会で、ひとりの女性として生きてきた人が、出産し母となっても「私の人生を生きる」ことができる。

産後ケアをただのサービスにしない「生き方や人とつながり地域とつながらなければ」という思いを持つようになった。

 

つながった、やりたいこと

NPO法人マドレボニータの認定、産後セルフケアインストラクターとして、産後ケアを広め伝えるという活動は社会の役に立ちたいという想いと、ようやく繋がった!産後の母のサポートは、産まれてくる子どもたちのサポートにもなる。これは養護施設で働いてきた時の思いとリンクする。人見知りだけど人とかかわる仕事を選んできたのも、産後ケアを産後の女性に届ける、産後ケアを広めるそこには、必ず人がいる。分断されていたように感じていた出産するまでの私と産後の私が初めて繋がった。生きるってこういうことかな?

 

出産をきっかけに「ママになった私」ではなく「私の人生は私が生きる」ことの尊さ010

私も、出産をきっかけに自分の人生を生きることと初めて向き合えるようになった。それは、私を大切にし、私の周りにいる人を大切にできるようになったから。そして、それにはやはり、健康な体と心があってこそ。

妊娠・出産・産後を通して私の心と体と向き合う。夫と向き合い、子どもたちと向き合う。それがどれほど豊かで、実りあることか知らないのはもったいない。知れば知るほど愉しくなる。

あなたの産後の毎日が豊かで、愉しいものとなりますように。
だから、私は産後ケアをあなたに届けたいのです。

 

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